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京都地方裁判所 昭和60年(ヨ)1100号 決定

申請人

大西利行

西林潔

樋口建夫

右申請人ら代理人弁護士

岩佐英夫

杉山潔志

中村和雄

右岩佐復代理人弁護士

佐渡春樹

被申請人

有限会社協龍商事

右代表者代表取締役

飛田務

右代理人弁護士

村田敏行

主文

本件申請をいずれも却下する。

申請費用は申請人らの負担とする。

理由

一  申立て

1  申請人ら

(一)  被申請人は、申請人大西利行に対し金六五万〇八三八円、同樋口建夫に対し金六五万〇七四七円、同西林潔に対し金四五万三四三七円を仮に支払え。

(二)  被申請人は賃金規程第一六条所定の生活最低保障制度を遵守し、申請人らに対し賃金カットなど不利益な取扱いをしてはならない。

(三)  申請費用は被申請人の負担とする。

2  被申請人

主文同旨

二  当裁判所の認定した事実

疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、次の事実が一応認められる。

1  被申請会社は生コンクリート販売等を目的とする会社であり、申請人らは被申請会社に雇用され、小型生コン車の運転手として稼働しているものである。

2  被申請会社は、昭和五七年以降、同会社賃金規程一六条に基づき、従業員に対する残業保障(以下「本件残業保障制度」という。)を実施している。右規定(以下「本件規定」という。)の内容は次のとおりである。

「生活最低保障については、次の条件によって月間四五時間の残業(時間外、休日、深夜を含む。)を保障する。

(1)  会社の指示による残業がある場合には拒否しない。

イ 何らかの理由で不就労の場合、当日の残業時間合計を平均して架空の赤字残業時間をつける。

ロ 月間合計平均して、四五時間を越える場合は、保障は行なわない。

ハ 実残業時間を各人に支給する。」

3  右の本件残業保障制度に基づき、被申請会社は、従業員らの平均実残業時間が一か月四五時間に満たない場合には、原則として(昭和五九年ころ以降)、その不足時間の割増賃金(割増率一・三)分に相当する金員を賃金支給時に分配、支給する方法で、保障金(以下「残業保障金」という。)を支払ってきた。

4  被申請会社では、昭和五六年一〇月以来、労使間で、労働基準法三六条所定の協定(以下「三六協定」という。)が締結されてきたが、昭和六〇年度の三六協定は締結されるに至らなかったため、被申請会社は、これを理由として、同年六月一七日以降、申請人らの残業及び残業保障金の支払を停止した。その経緯は次のとおりである。

(一)  申請人らは、被申請会社において、労働組合(全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部協龍商事分会、以下「組合」という。)を結成しているところ、昭和五九年までは、組合が事業場の従業員の過半数を組織するに至っていなかったため、被申請会社は、従業員の代表者との間で三六協定を締結してきた。

(二)  昭和五九年度協定の期限切れ(昭和六〇年三月三一日)の時点では、被申請会社の全従業員が組合員となっていたため、昭和六〇年度協定は組合との間に締結される必要があったところ、被申請会社は、同年五月一四日ころ、従前の三六協定と同内容の協定届及び協定書を作成して組合に捺印を求めた。

(三)  ところが、組合は、三六協定に対する無理解から、同協定は締結する必要がないなどとして、これに応じず、被申請会社の再三の説明、要請にもかかわらず、その締結を拒否した。

(四)  そこで、被申請会社は、三六協定の締結を諦めるとともに、その締結がないまま申請人らを残業させると労働基準法違反として被申請会社が処罰されることになるから、同年六月一七日以降、申請人らの残業及び残業保障金の支払を停止し、残業時間内にのみ就労する他の労働者を雇い入れて、これに代えることにした。

(五)  組合は、これを契機として、逆に、被申請会社に対し三六協定の締結に関する団体交渉を申し入れるようになり、これを受けて、被申請会社と組合間で、同月二五日、同年七月四日、同年八月一〇日の三回にわたり団体交渉がもたれたが、これまで三六協定の締結を拒否して、きたのは組合の方であるという事実を組合が素直に認めようとしなかったこともあって、三六協定の締結について実質的協議に入れないまま、交渉は全く進捗しなかった。

(六)  組合は、同年九月三日に至り、はじめて三六協定の組合案を作成、提示したが、「労働させることができる休日並びに始業及び終業の時刻」が「第五土曜日、始業時刻午前八時から終業時刻午後四時まで」となっていたことから、その翌日、被申請会社は、対案として、右を「原則として月二回、特別の事由がある場合においても四週間につき三回を越えない。始業及び終業時刻は、あらかじめ出荷予定表で定めた時刻とする。」と訂正した案を提示し、他にも組合が形式的な点で自案に固執するなどしたため、両案が対立したままの状態で締結に至らなかった(ちなみに、昭和五九年度以前の三六協定では、右の休日労働の点は、「原則として月一回、特別の事由がある場合においても四週間につき二回を越えない。始業及び終業時間はあらかじめ出荷予定表で定められた時間とする。」となっていた。)。

(七)  さらに、組合は、同年一〇月にも、被申請会社に対し、右の休日労働以外の点等で若干譲歩した三六協定案を提示するなどしたが、結局、三六協定の締結には至らず、以後本件の申請時までの間は、かえって、組合の方が、被申請会社の団体交渉申し入れに対し容易に応じようとしない状態であった(なお、本件申請後の昭和六一年三月一日、ようやく、労使間で、三六協定(期間昭和六一年三月一日から昭和六二年二月二八日まで)が締結された。)。

三  当裁判所の判断

1  まず、本件残業保障制度及び残業保障金請求権の性格について考える。

本件残業保障制度が、被申請会社において一定時間の残業量を確保することにより従業員らの残業による割増賃金を確保するとともに、仮に被申請会社において一定時間の残業が確保できないときは、従業員らに対し不足時間分の割増賃金相当金員を支払い、もって、従業員らの生活を保障しようとする趣旨のものであることは、本件規定の内容自体に照らしても明らかである。

そして、同制度は、本件規定の内容及び前記(二の3)の残業保障の実施状況に照らし、法的には、被申請会社が、従業員らに対し一か月に一人平均四五時間の残業をさせる義務を負うとともに、被申請会社においてこれを履行できないときは、実質的には、その不履行による損害賠障(填補賠障)の趣旨で、その不足時間分の割増賃金相当金員(残業保障金)を賃金支給時に従業員らに分配、支給するものであると解され、したがって、本件申請の被保全権利である本件規定に基づく残業保障金請求権も、その実質は、基本的には右義務の不履行による損害賠障請求権の性格を有するものであると解される。

2  しかして、被申請会社が従業員に残業をさせるためには、労働基準法上、三六協定の締結が不可欠であって、たとえ従業員の承諾があったとしても、その締結なしに残業をさせたとすれば、同法に違反し、被申請会社は処罰を免れないのであるから、三六協定の締結がないとすれば、被申請会社の前記「残業をさせる義務」も履行不能になるというほかない。そして、本件申請にかかる期間中(昭和六〇年六月分から昭和六一年一月分までの間)、労使間に三六協定の締結がなされなかったことは前記認定のとおりであるから、その間、被申請会社の右義務は履行不能の状態にあったというべきであり、したがって、実質的にその不履行に基づく損害賠償請求の性格を有する本件残業保障金請求権の成否も、まず、被申請会社に右履行不能についての帰責事由が存するか否かにかかるものというべきである。

3  そこで、右帰責事由の有無について検討するに、前記(二の4)認定の三六協定締結の交渉経過に照らせば、本件において、労使間に三六協定が締結されるに至らなかったのは、主として、三六協定の無理解による組合の態度に基づくものというべきであって、被申請会社にその責を負わしめることはできないものと認めるのが相当である。

もっとも、被申請会社も、昭和六〇年九月四日以降、休日労働日数の点で、昭和五九年度以前の三六協定より厳しい案を提示していることは前記(二の4の(六))認定のとおりであるが、もともとこの案は休日労働を第五土曜日に限ろうとする組合案に対抗して提示されたものであり、組合との対立点がこの点のみに限られていたわけでもないし、また、少なくとも本件申請に至るまでの間は、組合もこの点をとりたてては明確に問題にしていないこと等の事情に照らせば、この点が三六協定の締結を阻害した主因をなしたものとも認め難く、したがって、右事実のみをとらえて、三六協定不締結の責任が被申請会社にあるということはできない。

また、他に前記判断を左右するにたりる事情を窺わしめる疎明はない。

4  そうすると、申請人らの被申請会社に対する本件残業保障金の請求は認められないし、被申請会社に右請求にかかる残業保障金の支払義務違反があることを前提として、被申請会社に対する本件残業保障制度の遵守命令を求める請求もまた失当である(後者の請求については、前記認定のとおり、労使間で既に三六協定の締結がなされ、今後は、従来どおりの残業保障がなされると思われる現時点では、もはやその必要性もない。)。

四  結論

以上によれば、申請人らの本件各申請は被保全権利又は保全の必要性の疎明がないことに帰し、保証金を立てさせてこれに代えることも相当でないから、いずれもこれを却下することとし、申請費用の負担につき、民訴法八九条、九三条に従い、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 鐘尾彰文 裁判官 下山保男 裁判官 小野洋一)

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